治療法のない遺伝性神経筋疾患の発症前診断における当事者の経験と課題:日本における研究
治療法のない遺伝性神経筋疾患の発症前診断における当事者の経験と課題:日本における研究
木村緑
九州大学病院 臨床遺伝医療部
Individual experiences and issues in predictive genetic testing for untreatable hereditary neuromuscular diseases in Japan.
Midori Kimura, Sawako Matsuzaki, Kanako Ishii, Masanobu Ogawa, Kiyoko Kato
Eur J Med Genet. 2023;66:104667.
論文のハイライト
発症前遺伝学的検査(発症前診断)は、その時点では未発症の者が血縁者の遺伝情報を用いて、将来その疾患を発症する可能性を予測する検査である。特に治療法・予防法の確立されていない疾患においては、発症前診断の医学的なメリットはほとんどなく、本人およびその家族に大きな精神的負担がかかることが予想される。Huntington病の国際的な発症前診断のガイドラインであるRecommendations for the predictive genetic test in Huntington’s disease (Macleod et al., 2013) が発表されているが、本邦においては、この国際的ガイドラインは用いられていない。発症前診断の実施プロセスは各施設に委ねられている状況であり、発症前診断のプロセスが具体的に示されているガイドラインは未だない。そこで、筆者らは本邦に適した発症前診断プロセスの探索のために、本邦における治療法・予防法のない遺伝性神経筋疾患の発症前診断の実施状況を調査するとともに、発症前診断の受検経験がある当事者の経験と意見を調査した。
全国遺伝子医療部門連絡会議の会員施設130施設(2020年12月現在)の代表者にアンケート調査を依頼し、67施設から回答が得られた。67施設中37施設(55.2%)では、遺伝性神経筋疾患に対する発症前診断を実施していた。そのうち18施設(26.9%)では、発症前診断の手順書を作成していた。手順書がある18施設中17施設から実施内容について回答があり、特にAnticipatory guidanceは17施設中11施設(64.7%)で2回以上実施されていた。しかし、着床前遺伝学的検査のような生殖に関する情報提供を行ったという旨の記載はいずれの施設からもなかった。結果説明後のフォローアップに関しては、陽性であった場合には全ての施設で何らかのフォローアップが実施され、陰性であった場合には、15施設で主に電話によるフォローアップが実施されていた。
筋強直性ジストロフィー患者会(DM-family)、全国脊髄小脳変性症(SCD)・多系統萎縮症(MSA)友の会の会員およびその家族にアンケート調査を依頼し、63名から回答が得られた。回答者の平均年齢は57±13歳であり、男性33名、女性30名であった。63名中10名(15.9%)に発症前診断の受検経験があり、年齢の中央値は47±11歳(最小31歳、最大62歳)であった。発症前診断の結果は、陰性が6名、陽性が3名、不明が1名であった。10名中6名が遺伝診療部門で発症前診断を受検していたが、4名は遺伝診療部門ではない施設で受検していた。遺伝診療部門で受検した6名は採血までに3回以上の遺伝カウンセリング(GC)を受けていたが、遺伝診療部門でない施設で受検した4名は1-2回であり、GCセッションが5分で終了した施設も含まれていた。陽性であった3名中2名が脳神経内科にてフォローアップを受け、陰性であった6名中4名はGCや電話によるフォローアップを受けていた。陽性であった3名中2名からは、「自分の病気についてどうしたらよいかを教えてほしかった。」、「理解しきれないこともあったので、些細なことでも気軽に質問できる環境がほしかった。」という意見があった。陰性であった6名中3名からは「フォローアップは特に必要なかった」という意見があったが、2名からは「数回の電話で十分だった」、「希望すればGCを受けられるようにしてほしい」という意見があった。さらに陽性であった3名からは、「結果が精神的負担になった」、「着床前診断のために発症前診断を受けたのに、着床前診断は承認されなかった」、「不妊治療施設に疾患名を伝えたら、治療しても意味がないと無碍に断られた。そもそも、疾患が遺伝性であることを知らなかった。」などネガティブな意見があった。結果不明と回答した1名からは、「簡単な説明の後に採血され、結果は「あなたは違う」とよくわからない説明だった。同じように、発症前診断を受ける若い人たちが雑な扱いをされないことを願う」という意見があった。回答者63名中53名は発症前診断の経験がなかったが、発症前診断を受けたいかを尋ねた結果、11名が受けたい、26名は受けたくない、10名はわからないと回答し、6名は無回答であった。この理由を尋ねた結果、53名中36名から回答が得られた。発症前診断を受けたくない理由としては、恐怖や不安などの精神的負担、治療法や予防法が未確立など、メリットがないことが記述されていた。受けたい理由としては、ライフプランのため、こどもに遺伝性であることを伝えるため、生殖医療の選択肢のためという記述があった。しかし、36名中8名は発症前診断の存在を知らなかった、36名中6名はそもそも遺伝性疾患であることを知らなかったと回答した。
以上の結果から、本邦における治療法・予防法の確立されていない遺伝性疾患における発症前診断のガイドラインの必要性、発症前診断に関する情報に適切にアクセスできる必要性、疾患の遺伝性を家族と共有することを支援する必要性が示唆された。特にガイドラインに関しては、陰性であった場合のフォローアップ方法や着床前診断などの生殖医療の選択肢に関する情報提供を含めることを検討する必要があると考えられた。
治療法・予防法のない遺伝性疾患における発症前診断のながれの一例と回答者から得られた意見を統合した模式図。
工夫した点、楽しかった点、苦労した点など
治療法・予防法の確立されていない遺伝性神経筋疾患の発症前診断は、主に遺伝診療部門のある大学病院や専門病院にて実施されてきました。しかし、実際に発症前診断を経験した当事者の意見を伺う機会や知る機会は、自施設に来談したクライエントに尋ねる以外にはほとんどありませんでした。
遺伝性神経筋疾患にも様々な疾患や特徴がある中で、どの疾患を対象に調査したらよいかということは判断に苦労しました。いくつかの患者会の方と連絡を取らせていただき、アンケート調査を実施する前に当事者の方が発症前診断や疾患について考えていることや大変だと感じることなどを伺うことができました。その結果、当事者の声を踏まえたアンケート用紙を作成でき、当事者の方の思いや意見をよりよく伺うことにつながったと思います。患者会の方々とコミュニケーションをとりながら研究を遂行できたことは、私にとってもとても有意義で充実したものとなり、研究を行うための原動力となりました。
研究室紹介
2024年現在、九州大学病院臨床遺伝医療部は加藤聖子教授が部長を務めています。当部は2004年に開設され、当時は臨床遺伝専門医を中心に遺伝診療が行われてきましたが、現在では遺伝カウンセラーの雇用も整備され、臨床遺伝専門医と遺伝カウンセラーが中心となり、診療科横断的な遺伝カウンセリングを実施しています。臨床の傍ら、遺伝カウンセラーは各々が主体的となり、競争的資金の獲得を目指すとともに、遺伝カウンセリングに関する研究活動を行っています。研究テーマは各々の興味のあるテーマであり、近年では、遺伝性腫瘍における小児へのアセントに関する研究や、遺伝性に関する人々の捉え方に関する研究など、量的・質的研究に重きが置かれています。
2022年頃の臨床遺伝医療部の一部メンバー。右端が小川昌宣先生(現・京都大学病院倫理支援部/遺伝子診療部)、左端が認定遺伝カウンセラー松﨑佐和子氏、中央が筆者。2024年現在は、田浦裕三子先生、松﨑佐和子氏、石川亜希子氏が中心となって活動しています。