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遺伝子学的検査に関するガイドライン

遺伝子学的検査に関するガイドライン      2000年1月発表

日本人類遺伝学会は平成6年に「遺伝カウンセリング・出生前診断に関するガイドライン」、平成7年に「遺伝性疾患の遺伝子診断に関するガイドライン」を提案したが、今回それらを改定した。

遺伝学的検査のもつ重要性に鑑み、医学研究機関、医療機関、臨床検査会社、その仲介業者、マスメディアなどにも、遺伝学的検査の持つ意味の重要性を説明し、ガイドラインを尊重し、違反することのないように、注意を呼びかけて行く所存である(1)。

細胞遺伝学及び分子遺伝学の進歩は人類遺伝学の発展に多大の貢献をもたらした。しかし一方で、こうして得られた新知見がこれまでの生命倫理問題に加えて、新たにいくつかの論点を生むに至ったことも指摘されている。この背景として、ヒトの遺伝子には個人のほとんど全ての生命情報が含まれていること、遺伝子は血縁者で共有されていること、現在の解析技術により特定の染色体核型や特定の遺伝子型を検出できること、さらに遺伝子による個人識別などが可能になったことがあげられる。特に、ヒトDNAを用いた検査・診断可能な遺伝性疾患の数は年々増加し、遺伝子解析の臨床的な有用性は広く認められている。

こうした状況に伴って、実際の遺伝医療の場では、染色体検査または遺伝子解析などによる遺伝学的検査(出生前検査、保因者検査、発症前検査、易罹患性検査などが含まれる)を施行し、遺伝情報を解明し診断するためには、検査前及び診断後の遺伝カウンセリング、検査実施時のインフォームドコンセントの確認、及び診断によって得られた個人の遺伝情報や診断に用いた生体試料の取り扱いなど、慎重に検討すべき問題が存在している。遺伝カウンセリングおよび遺伝学的検査などの遺伝医療に関与する者は、それを受ける者(以下被験者)ならびにその家族の人権を守り、被験者らが特定の染色体核型、特定の変異遺伝子を保有するが故に不当な差別を受けることがないように、また、必要に応じて適切な医療及び支援を受けることができるように努めるべきである。遺伝学的検査に関しては、被験者自身の決定を尊重しなければならない。この目的のため次に掲げる項目に留意することを提言する。

遺伝カウンセリングは充分な遺伝医学的知識・経験をもち、カウンセリングに習熟した遺伝カウンセラーにより行われるべきである(2)。
遺伝カウンセラーはできる限り、正確で最新の情報を来訪者(以下クライアントという)に提供するように努めなければならない。これには疾患の頻度,自然歴、再発率(遺伝的予後)、さらに保因者検査、出生前検査、発症前検査,易罹患性検査などの遺伝学的検査についての情報が含まれる。遺伝性疾患は同一疾患であっても、その遺伝子変異、臨床像、予後、治療効果、などは異質性に富んでいることが多く、遺伝カウンセリングに携わるものはこれらに十分に留意しなければならない。
これらの説明にあたっては、遺伝カウンセラーはできる限りクライアントに理解可能な平易な言葉で行う。クライアントの依頼があれば、またその必要があると判断された場合は、クライアント以外の人物の同席を考慮する。説明内容は病歴簿に記載し、一定期間保存する。
遺伝カウンセリングでは、検査の目的、方法、内容(メリットおよびデメリット)、精度、特に不可避な診断限界、および実施にあたっての医療上の危険性などの情報は正確に、被検者に伝えられなければならない。説明は口頭に加えて、各疾患ごとに文書を用いて行い、遺漏なきように努める。
クライアント及びその家族は知る権利と共に知らないでいる権利も有しており、いずれも尊重されなければならない。よって、遺伝カウンセリング及び種々の生体試料を用いた遺伝学的検査は、それを受ける者の自主性に基づいた意思決定に従って行われ、この決定については、カウンセラーの指示、もしくは指導のもとで行われることのないように配慮する。この場合、同時に、検査を拒否する選択が可能であること、また検査を拒否しても何ら不利益を蒙ることがないことが被験者に告げられなければならならない。特に、遅発性遺伝病の発症前検査については複数回の検査前カウンセリングを施行し、意思確認を行うべきである。
遺伝学的検査は、インフォームドコンセントを得た後に、実施できる。
クライアントが遺伝学的検査の実施を要求しても、医師が倫理的、法的、社会的規範に照らして、もしくは自己の信条として同意できない場合はそれを拒否することができる。但し、自己の信条として同意できない場合には、他の医療機関を紹介することを考慮する。
自主性に基づいて決定を行う権能がないと判断され、代理人により決定される場合、それは被験者の利益を保護するものでなければならない。したがって、治療法、または予防法が明らかでない成人期以後に発症する遺伝性疾患について、小児期に遺伝学的検査を行うのは避けるべきである。
がんや多因子遺伝病などに関する易罹患性検査については、仮に遺伝子変異が見いだせても、その発症は疾患により一様でなく、浸透率などに依存することについて、十分に説明する必要がある。また検査目標とする遺伝子に変異が見出されなくても発症する可能性を否定する根拠にならないことについても説明する。さらに、検査後の医学・医療上の対応についても言及する。
診断技術は熟練した手技によらなければならない。検査にあたる施設は精度の向上を図るとともに、検査後の追跡調査をふくめ、一定の精度管理の下に置かれるのが望ましい。
検査結果は被験者にとって理解し易い言葉で説明されなければならない。仮に、診断が不成功であったり、診断結果が確定しなくてもその内容は被験者に伝える必要がある。
遺伝カウンセラーは検査結果の説明に際して、被験者単独であるよりも被験者が信頼する人物の同席が望ましいと判断されれば、これを勧める。被験者は診断のための検査を受けても途中で、中止を申し出たり、結果の告知を拒否することができる。またそのことによって不利益を蒙ることがあってはならない。
診断後のカウンセリングも不可欠であり、必要と判断されば、繰り返し行う。また、必要に応じて、精神的、社会的支援を含めた、医療・福祉面での対応が図られるべきである。
得られた個人に関する遺伝情報は守秘義務の対象になり、基本的に、被験者本人の承諾がない限り、開示することは許されない。とりわけ、何らかの差別に利用されることのないように慎重、且つ特別な配慮が要求される。
単一遺伝子病のみならず、多因子遺伝病(家族性腫瘍など)にあっても、得られた個人情報が血縁者での発生予防や治療に確実に役立つ情報として利用できるのであれば、血縁者へ情報を開示し、その者が遺伝カウンセリングを受けられるように、被験者本人に勧める。遺伝情報を伝えることで患者の血縁者が蒙る重大な被害が確実に防止できると判断され、且つ、その血縁者からの情報開示の要望があり、繰り返し被験者を説得しても同意が得られない場合、診断、予防、治療に限って情報を開示することは倫理的に許容される。しかし、情報を開示するか否かの判断はカウンセラー個人の見解によるのでなく、所轄の倫理委員会などにゆだねられるべきである。
遺伝学的検査使用後の検体は、被検者及びその家族の利益のために保存できる。原則として検体は本来の目的以外に使用してはならない。検体に関する個人情報は守秘義務の対象となる。もしも検体が関連した疾患の診断などに将来使用される可能性があると判断された場合は、個人を特定する情報は削除されて提供される旨を明確に説明し、別に文書で同意を得ておく。
出生前検査については現在の診断技術及び遺伝医学知識を考慮して、付記されるような見解の提示が可能である。診断後の対応については被検者の意思を尊重し、カウンセラーはこの意思決定に関与してはならない。なお、診断後、被験者が決断した内容の如何にかかわらず、必要に応じて、被験者およびその家族を精神的、社会的に支援する態勢を整えておくことが望まれる。

付1、出生前検査・診断に関する見解

  1. 妊娠前半期に行なわれる出生前検査・診断には、羊水、絨毛、胎児試料などを用いた細胞遺伝学的、遺伝生化学的、分子遺伝学的、病理学的な解析法の他、胎児を対象とした機器診(3)がある。
  2. 絨毛採取、羊水穿刺など侵襲的な出生前検査・診断は下記のような妊娠について、妊婦が依頼した場合に考慮される。
    1. 夫婦のいずれかが染色体異常の保因者
    2. 染色体異常児を妊娠、分娩した既往を有する場合
    3. 高齢妊娠
    4. 妊婦が重篤なX連鎖遺伝病のヘテロ接合体
    5. 夫婦のいずれもが、重篤な常染色体劣性遺伝病のヘテロ接合体
    6. 夫婦のいずれかが、重篤な常染色体優性遺伝病のヘテロ接合体
    7. その他、胎児が重篤な疾患に罹患の恐れのある場合
  3. X連鎖遺伝病の診断のために検査が行われる場合を除き、胎児の性別を告知してはならない。
  4. 出生前診断技術の精度管理については、常にその向上に務めなければならない。
  5. 母体血清マーカー検査の取り扱いに関しては、先に出された本会会告、及び厚生科学審議会出生前診断に関する専門委員会の見解を十分に尊重して施行することを強く要望する。