日本人類遺伝学会 The Japan Society of Human Cenentics

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沿革

1 学会創設の背景から発足まで

G.J.Mendel が遺伝の法則を発見したのは1865年であるが、論文は全く注目されなかった。その重要性に世界が気付いたのは1900年のことである(Mendel の法則の再発見)。1902年にはアルカプトン尿症が常染色体劣性遺伝の形式に合致する旨の発表はあったものの、その後の遺伝分野の研究は主として植物、ショウジョウバエ、カビ、大腸菌、ファージを対象としており、ヒトについての動きは鈍かった。ヒトは自由に交配することができず世代も長いので、遺伝の研究には適さないと考えられていたのである。

その後、ヘモグロビン異常の発見、インスリンの構造の解明、さまざまな酵素異常の発見、免疫学の発展などがあり、さらに1953(以 下、53)年には Watson とCrick によるDNAの2重らせんモデルの提唱、56年にはヒトの染色体数が46であることの発見など、ヒトの問 題に取り組むための技術・知識の蓄積が進んだ。 この間わが国でも、ABO血液型が3対立遺伝子によること(古畑種基ら、以下敬称略)、日本人では2卵性の双生児が少ないこと(駒井卓ら)、細胞質遺伝(今井喜孝、森脇大五郎)や無カタラーゼ血症(高原滋夫ら)のそれぞれ発見など、ヒトの遺伝にかかわる業績があった(1、2)。また第2次大戦前に、ヒトの遺伝に興味をもつ勝沼精蔵、村上氏広らが人類遺伝研究会を作り定期的に集まっていたが、戦争で中断した。そのまま続いていれば、48年の米国人類遺伝学会に先立つ、世界初の人類遺伝学会になったものと惜しまれる。また「人類と遺伝」という雑誌が、富田朋介らにより47年から49年まで計8回、大阪で出版された事実がある。

50年代には日本遺伝学会は盛んに活動していたが、ヒトの遺伝は大方の会員の関心の外であった。そこでヒトの遺伝に絞った学会の必要性を感じた田中克巳らが55年に関係者に呼び掛け発起人会(井関尚栄、井上英二、大倉興司、岡島道夫、岸本鎌一、田中克己、半田順俊、満田久敏、村上氏広、柳瀬敏幸など)が発足、学会設立に向けての準備を始めた(3)。10月の発起人会を経て12月には創立準備委員会が発足、56年6月2、3の両日に日本人類遺伝学会の創立総会と第1回の学術集会を、慶応大学の北里講堂で開催した。初代の会長には、古畑種基が 指名された。なお同年には第1回の国際人類遺伝学会がコペンハーゲンで開催されている。また56年には、わが国初の人類遺伝学教室が、東京医科歯科大に開設されている。

2 その後の歩み

発足当時は家系調査による遺伝形式の解明や、近親婚の影響の調査(田中克己など)、隔離集団の調査(柳瀬敏幸など)、双生児の研究(井上英二など)などを中心に、法医学関係者による血液型の研究なども行われていた。59年にダウン症が21番染色体のトリソミーによることが発見されて(Lejeune)、医師の入会が大きく増えまた理学部などの染色体研究者も入会した。一時期には染色体関係が大会の演題の過半数を占めたこともある。また50から60年代にかけて、免疫分野の研究も大きく発展した。

70年代には染色体分染法が登場、先天代謝異常についての酵素レベルの研究、出生前診断の実用化も進んだ。80年代にはDNAレベルの技術が普及した。その結果、遺伝子診断が現実のものとなり、疾病の原因解明はもちろん、染色体異常や多因子遺伝病の解析にもDNAレベルの技術が常用されている。最近では全発表演題の7ー8割がDNA関連の技術を使っている。また遺伝子診断や遺伝医療の普及に関連して、倫理面や遺伝カウンセリングについての発表も増えている。

当学会の会員により原因遺伝子を単離・同定した形質等の例としては、アルギニン血症、プロリダーゼ欠損症、メープルシロップ尿症、ベータケトチオラーゼ欠損、色素性乾皮症(A群)、MELAS病、エナメル質無形成症(伴性型)、セルロプラスミン遺伝子、モルキオ病、家族性ポリープ/大腸癌、ABO血液型、DRPLA、Machado-Josef 病、非ケトーシス型高グリシン血症、先天性無痛無汗症、ベックウイズ・ウイーデマン症候群、孤立性黄斑低形成症、脊髄小脳失調症、パーキンソン病劣性若年型、福山型筋ジストロフィー、エンゲルマン病、ソトス症候群、マルファン症候群2型、耳垢型、コステロ症候群、椎間板ヘルニア、心筋梗塞関連遺伝子などがある(4など)。